ドラえもんをみてやっぱりガカーリな件

デジタル化のときに演出が変わった→エンディングがすごいことに、のコンボが決定的要因となり疎遠になっていたドラえもん(アニメ)ですが、さすがに慣れ親しんだのぶ代ヴォイスでのオンエア最終回ということで正座して視聴してみた。

お題は「ドラえもんに休日を」という原作でも屈指の泣きエピソード。しかし結果は予想通りガカーリ。F先生がいないとこうなってしまうものなのかと。

ナニがアレかといえば、演出が明らかにおかしい。最終回オールキャラ登場!でムリヤリにスネ夫の従兄弟のお兄さんとかが出てくるのは、まあいいとして、ドアも開けずにぴょるんっ!とクルマに乗り込むスネ夫とか、電柱にぶつかって潰れるジャイ子とか、おなじくペラペラになってしまうジャイアンとか、これはどこの「トムとジェリー」ですか?

ドラえもんの世界観というのは、実は割とストイックで、基本的には“マンガみたいなこと”はひみつ道具のチカラ無しでは起こりえない。だからこそ、F先生のスコシフシギそのものであるひみつ道具の一つ一つが輝きをもち、それらを用いたエピソードが驚きや笑いを呼ぶのではないか。それなのに、ビッグライトなしで人が巨大化したり、分かいドライバーもないのに人がバラバラになってしまったとしたら、いったいナニを面白がればいいというのだ?

「時代にあった変化を」という理由で“今っぽい”演出や、EDのどうしようもないナマズの歌が採用されたワケですが、いまの子ども達って、ホントにそこまでやらないとダメなん? あまりにも即物的じゃないか。F先生の描く「ドラえもん」は、子どもにやさしかったけれど、決して子どもに媚びるようなものではなかったし、子どももソレをちゃんと楽しんでいたよ。教育上よろしいアニメとして、お母様に喜ばれるために毒をうすめ、子どもに人気だからと辻ちゃん加護ちゃんが脈絡のないナマズの愛を唄わせる。制作サイドの大人の配慮ってやつが、なにかズレてないか。

新監督は「原作のスラップスティックな部分を出したい」といっているので、少しだけ期待したい。……けど…あの可愛らしいドラえもんの声に慣れるのは大変そうだ……。